奇怪な怪坂

 夕食を済ませ、少しアルコールが入ったまま遼寧棋院に行ったときだった。棋院の服務員のお嬢さん王小姐がまだ居た。

 彼女18才、細身の美人、服のセンスが良い。去年の秋、茶色の飛行服みたいな服が非常によく似合っていたので、写真に撮って上げたらこれがまた非常に可愛いく撮れた。美人を鼻に掛けるところが全然無く、気さくな娘だ。例えば私が覚えたばかりの中国将棋で苦戦していたら、彼女横に座って応援して呉れる。

この日は酒の勢いもあって、

「よっ!デートしょう」

と言ったら、意外にも二つ返事で

「いいですよ、何処へ行きます」

と言う。とはいっても、若い娘さんと二人だけというのもかえって気が重い。ちょうど囲碁友達の小趙が来たので、

「怪坂に行きたいのだけど、君も一緒に行こう」

と誘ったら、彼も

「明後日は私も休みですからいいですよ」と言う。

香港復帰を祝して、6月29日から7月1日まで私達の学校も休みになっている。

 彼は本来バスの運転手だが、囲碁の才能を買われて、少年少女にコーチをしている。25才。碁も強いが人間が非常に謙虚である。一般に碁が終わった後よく感想等を述べ合うのだが、彼とは語るだけで楽しくなる雰囲気を持っている。

宿舎の留学生T君に

「可愛いい娘さんを紹介するよ」

と誘ったら、彼行き先も聞かずにOKした。

  当日、小趙が約束の8時半より10分早く迎えに来る。T君はまだ寝ている。たたき起こして、約束の場所遼寧棋院に着いたときは9時を少し回っていた。

「どうしたの2分も遅れて。待ちくたびれたわ」

と、王小姐が飛び出して来る。

「みんなこいつが悪いのさ」

と、T君に謝らせたら、自己紹介を兼ねて弁解していた。

 乗ってきたタクシーでそのまま「怪坂」へ向かう。

 「今日は君がガイドだよ」

 「え、いいわ」

 とは言うものの、彼女肝心の「怪坂」が何処かさえ知らない。運転手君も大体分かりますと頼りない。とにかく新城子の方角だと私が一番詳しい。

 このガイドさん、ときどき誰でも知っている例えば瀋陽北駅等をガイド口調で説明して呉れるが、私が聞くことは何も知らない。

  「あの変わったアンテナは何?」

 「なんですか?貴方の中国語は分かりません」

 と耳に手を当ててさも聞き取り難いような表情をしてとぼける。近頃は私もとぼける術を覚えて、都合の悪いことには「私は中国語がよく分かりません」と言う。そのお株をとられたのだ。

  若い娘が横に乗っているだけで楽しい。タクシーのスプリングが悪いのも、道路が酷いのも今日はかえって有り難い。赤のワンピースに麦藁帽、サンダル履き。背中の小さなリュックは近頃日本でもよく見かけるファッションだ。彼女身体は細いが、おっぱいは相当なもので、ワンピースからはみ出さんばかりの豊かな代物に、私の視線の行き先が時々乱れる。

「若い娘の言うことと, 蛙の飛び先は分からない」と誰かが言っていた。話題が定まらないという意味である。事実、王小姐の言うことも、確かポーカーが話題だったと思うのだが、急に全然別のことを喋っている。小趙は勿論分かるから楽しそうに笑っているが、私にはチンプンカンプン分からない。それでも聞き取りの練習にはなる。

 歌を歌おうと言う。小趙がテンポの早い曲をリズムよく歌う。では私が遅いのをと王小姐が最近の流行歌だろうか、しっとりと聞かせて呉れる。私はリクエストにより、「さくら、さくら」。T君は「上を向いて歩こう」を歌う。

「題名が上を向いて歩くなのに何故悲しい調べなのか」

と鋭い質問が来るから、涙を堪えていると説明したら、深く頷いていた。音楽の感性は直接的なのだ。

 運転手が、途中何回も道を尋ねながら行く。着きさえすれば良いと、私も大様である。「このまま着かなくてもいいや」という気持ちにさえなっていた。

 

 迷いながらも10時20分、出発後1時間20分で目的地の「怪坂」に着いた。

  観光地はよく外人料金といって、中国人料金と3倍位の差がある。心配だったので小趙に買って貰ったのだが、ここでそれはないようだ。入場料一人11元=約160円。

 

 何故「怪坂」(奇怪な坂)と言われるか。瀋陽市西北の郊外新城子の近くに一本の山坂がある。この坂下りに労力を要し、登りには逆に労力が要らない。自転車なら下りにペダルを踏み、登りは逆になにもしなくても自転車が動く。自動車なら下りにアクセルを要し、登りはクラッチを切ったままで動く。

 まず貸し自転車(借り賃3元、約45円)で、右の緩い下り道を、ペダルを踏んで行く。戻りは左の道。するとあら不思議、向こうからの登り坂を、自転車が自然に動き、かなりのスピードで何もしなくても戻ってくる。自転車は全部ブレーキを故意に壊しているのか、うろたえる位のスピードが出る。

  勿論錯覚だが、さりげなく配置されている置物、例えば「怪坂」の石碑と門が、向こうからは大きく視野に入り、階段を登るような錯覚を生むように置かれている。これだけの区間でこれだけのスピードが出せるためには、少なくとも二メートルの高度差、即ち5度の勾配が要ると思うのだが、その5度の勾配を逆に見せ、二メートルの高度を隠す細工は、まさに芸術品だ。視野に入る全てが、その錯覚形成に緻密に計算されている。

 三国志で有名な諸葛孔明の「八陣図」もこのようなものか、あるいはもっと巧妙な仕掛けがあったかもしれない。「八陣図」は河原にさりげなく石を積まれただけだが、一度そこに足を踏み入れると、二度と抜け出さない迷路になっていたという。

  

 ここでタクシーを止めていたら、車が逆に動き出しそれで発見されたと言うのは勿論作られた伝説。第一タクシーが来るような場所ではない。

  ここは、近くには2万坪ばかりの射撃場を含み、新しく(1994年)建てられた「鵬恩寺」、カラオケボックス、見せ物小屋、ホテル、食堂、釣橋、迷路等、が有る全体で30万坪ばかりの総合レジャー施設。「怪坂」はその中の目玉商品なのだ。

 丘を登ると、前方の谷に100メートル位の釣橋が架かっている。渡り賃2元(約30円)。王小姐が欄干にしがみついていると、知らない若者が面白がってロープを大きく揺する。王小姐が悲鳴を上げる。T君と小趙は、変に気をきかしてして先へ渡ってしまった。そこでやむを得ず、このお年寄りが騎士役を引き受け、彼女と腕を組む仕儀となった。

 「鵬恩寺」は観覧料10元。案内のパンフレットによると敷地6000平米。主要建造物は「大雄宝殿」を含め6座。遼寧省最大規模の仏教寺とある。更に仏教協会から派遣された僧がお勤めをしているとあったが、境内の尼さん色っぽすぎる。「こりゃ偽物だ」と思ったが偽の根拠は何処にも無い。「怪坂」を見て来た目には、何もかも疑わしく見える。

 

  一回りしたら12時を過ぎていた。食事は瀋陽で日本料理を食べようと、待たせていたタクシーに乗る。帰りは迷わなかったので、一時間足らずで着いた。早口言葉等して遊んだのだが、これ位の時間はあっと言う間に過ぎる。

  王小姐がお握りを食べない。

  「私塩辛いの駄目なの、甘いものならなんでも好き。もっと太りたいと思って甘いものを食べるのだけど全然」

 「では今度“商貿”(瀋陽に新しくできたホテル)のケーキをご馳走して上げよう」

 「嬉しい!」

T君曰く

「あの娘、先生に気が有るよ」

 「怪坂」は、高低差の錯覚を見せて呉れた。

王小姐は、年齢差の錯覚を与えて呉れた。