中国棋院大手合観戦記

  楊爽さんが、三月二十一日から杭州で行われる「段位賽」日本で言うところの大手合に参加すると言う。彼女は中国棋院二段の女流専門棋士、二十三才。瀋陽市日本人会の囲碁好きな人達の集まりで知り合い、私も二子で指導を受けている。

  杭州はかねて行きたかった所だ。一行に加えて貰えるだろうかと尋ねたところ、どうぞと言うことになった。早速中国棋院国際部の王誼さんに電話して観戦の依頼をしたところ、こちらも大歓迎と言って頂く。学校の授業の方も振替をお願いし、十八日夜行瀋陽北駅九時四十分発の杭州行き直行便寝台車に乗った。

  これから杭州まで三十三時間、楊爽の他に同行者は劉涛さん、やはり中国棋院三段の女流専門棋士二十四才。王存さん、1994年の世界アマ選手権中国代表。王伝海君、今回入段手合いに参加する青年棋士。これ以上の道連れは居ない。乗るなり早速王伝海君と一局お手合わせ願う。

 

車中二泊。朝七時二十分定時着。かつて、マルコポーロに世界で一番美しい都市と言われた杭州は菜の花に囲まれ、柳と共に小雨の中に煙っていた。西湖は桃で装いをしている。

 

1997年中国棋院段位賽「大手合」が行われた杭州九渓療養院は、杭州西の郊外、名所六和塔に近い、五雲山の渓谷九渓十八を少し登った小高い丘の上にある。大小五つの建物でなるこの療養院は、看護婦さんも居るから本来はアフタケアー施設なのだろうか。静かな木立に囲まれて高級旅館の趣がある。会場は二百坪余りの円形大ホール。

 円周に添って、螺旋上に約150余りの碁盤が配置され、中国棋院八段以下の棋士と、入段試験手合いを打つ少年少女棋士144人を含め300人余りの棋士が一堂に会する様は正に壮観。最高段者の八段七段の棋士は円周の外側、即ち窓側に座り、段によって順次内側に座っている。

従って少年少女棋士達は中心に近い所に座っている。専門棋士への登竜門を目指すこの子達は、これから中国方式(スイス方式に似ている)で十日間12局のリーグ戦を戦う。その中の12名だけが入段を許されるのだから広い門とは言えない。

中には椅子から下に足が届かない子も何人か居る。顎を突き出すようにして打っているこの子供達の視野はどうなっているのか、私も彼らと同じ高さに視線を落として盤面を眺めて見たのだが、碁盤の向こうが見えない。なんと、この子達は頭の中に碁盤?を置いて碁を打っているのだ。そして子供らしい溌剌とした碁を打って、ぶっ殺し合いをしていた。

 

常昊と張旋、豊雲と王冠軍、日本でもよく知られた有名棋士がちょうど隣り合って対局している。常昊は、史上最も若い八段が誕生するか、この一局に昇段がかかっている。これ幸いと中間の両方が見える所で、棋譜を付けながら観戦させて貰った。

専門棋士の碁を記録するのは始めてだが、アマチュアと違ってばたばた打たないから非常に記録しやすい。開始後二時間も経ったろうか、局面は中盤に入ろうとしている。対局が終わったのか、先ほどの椅子から足が届かなかった子供が来て

「おじいちゃん何しているの」

と私の手もとを覗き込む。更に、対局机に近づいて背伸びして碁盤を動かしてしまう。張旋が「これっ」というように、ちょんと子供の鼻頭を摘む。常昊が笑いながら、動いた石を直している。窓辺に4、5人の少年少女棋士達が来て

「常昊こっちを向いて」

とガラスをつつく。いまや国民的英雄とも言える人気者の常昊は「仕方ないな」といった表情で、ちょっとそちらへ笑顔を見せ、我を取り戻すように真剣な表情で虚空を睨む。

このように書くと雑然とした雰囲気のようだが、実際は時折石音が聞こえるだけの静寂の中で起こった寸劇。この碁は白番の張旋が勝って、新八段の誕生は成らなかった。

  常昊は、このあとの対局に勝って昇段したことを後日知った。

 

20日から25日まで五泊六日した宿舎は、四人部屋。同室の一人王鉄夫さんは放送記者。今回は初段の娘さんの付き添いで来ている。彼も碁好きなのだが、周りは専門家またはそれに準ずる人ばかりで相手が居ない。

「娘も強く成りすぎて、全然相手にして呉れない」

と言いながら私を格好の碁敵として片時も離してくれない。解放軍で17年間5時半起床9時就床という規則正しい生活をして来た彼は、朝も早い。私が起きるのを待ちかねたように、「来、来、来」(さあ、さあ)と朝から碁盤を持ち出す。

滞留期間中20局も打ったろうか。しかし、私も彼に対してあまり優しくない。60目という超大込みのハンディキャップを提供した上で、弱い者虐めが大好きな本領を発揮し盤中の石を召し上げる。

彼曰く「貴方の碁は野蛮だ」と。そして

「野蛮は、本来は人をけなす言葉だが、ここでは強いという意味を強調しているので、悪い意味は無い」

と変な褒め方をして呉れる。劉涛さんに二子でねじり合いの末大石を撲殺された私が、悔し紛れに

「中国のお嬢さんは、どうしてこんなに野蛮なの」

とぼやいたら、彼女美しい眉を顰めて苦笑したから、あまり良い言葉ではないのだろう。

 

仕事の関係で最後までは居られない。明日は発つという晩、ここで知り合った子供達が次々に(爺爺再見!)「おじいさんさようなら」と別れの挨拶に来て呉れる。

「私達最後の晩だね」

と、王さんと名残尽きない碁を打ち終えたときは、12時を回っていた。