ご馳走

 

 私は美食家ではないが、味覚音痴とも思っていない。不味い物を食べたら不味いと分かる。
 しかし食べる物が全然無い時代に育った私達の世代は、好き嫌いなんぞ言う余裕が無かった。

子供の頃、もし私が一言でも「不味い」と言ったら、父親はそれを食べ終わるまで、一切食べ物を呉れなかった。いまと違って買い食いなんか出来なかったから、仕方なく何でも食べた。

おかげで、人様が食べる物なら何でも頂く。

 

  朝、お粥が旨い。饅頭も旨い。中国の饅頭はぱさぱさしてどうもという人もいるが、この味もそっけもない味が良い。それにゆで卵一個、馬鈴薯を細く刻んだなま酢風の食べ物、これらがここで最も普通に食べる朝食である。

(混飩)=「ワンタン」、(豆腐脳)=「豆腐汁」、(油条)=「揚げ面」(面条)=「麺」類も朝早くから屋台が出ているので、よく食べる。

 

高粱粥や粟粥は、今ではかえって高級な食べ物になっている。

    一キロ 2元4角  約36円

 高粱一キロ 3元    約45円

 と米に比べて雑穀の方が割高である。

昔中国人は、米を持っているだけで経済犯として捕らえられた。俗に言う食い物の怨みか、これは中国人が“偽満時代”「旧満州国時代」を語るときは必ず出てくる。

東北地方を代表する穀物は、大豆と高粱だったのが、解放後各地にダムが出来、米がそれにとって替わった。

 “煎餅”といって、鉄板で高粱粉を薄く引き延ばして焼いた食べ物があった。それに葱と味噌をくるんで食べる。香ばしくてとても美味しかった。いまも同じ名前の物を売ってはいるが、小麦粉で焼いた物に卵やソーセージを包んでいて全然味が違う。私は元の素朴な味の方に郷愁を感じるが、見たことがない。

 餅といえば、“老餅”メリケン粉をこねただけの物を、厚さ1センチ位直径10センチ位にして鉄板で焼いて売っている。確か1元。

 これに肉と野菜の餡が入ったら、“餡餅”。凄く美味い。これが2元。

 “焼き餅”は日本の煎餅。子供の頃“好的焼餅”「美味しい焼餅」と言って売りに来る売り声が、私には“我的小便”「私のおしっこ」と聞こえて可笑しかったのを思い出す。

 

 主食にもおかずにもなるものを上げると、 “油炸丸子”=「揚げ団子」は子供の頃の、好物の一つ。今もある。先日市場で買ったら、計り売りで直径3センチ位の丸いお団子が30個程入って7角(約10円)。一度には食べきれない。

 “包子”一篭12個入って1元5角(約22円)。

 “合子”と言って韮卵を小麦粉でくるんで焼いたものが1元(約15円)二個も食べたら、私は満腹する。

 “水餃子”が半斤(250グラム)4元。個数にして30はあるから一人では食べきれない。因みに中国で餃子と言うと水餃子のこと。

 麺類は“肉糸面”、“炸醤面”、“湯面”、“炒面”、“冷面”をよく食べる。

 肉糸面  豚肉の細切りが入ったラーメン。2元(約30円)

 炸醤面 ゆでた麺の上に味噌を油炒めした物がのっている。2元

 湯面   手打ちうどんに似ている。2元

 炒面  焼きうどん。4元

 冷面  日本の(れいめん)と同じ。4元。

 刀削面は、面の作り方に特長があって、ねった面を肩に担ぎ、刀のような大きな包丁で削ぎ落とすように、湯だった鍋の中に入れる。超太いうどんと思えばいい。元々山西省の名物だがどこででも食べられる。

 これら麺類に付きもの“香菜”=「芹に似た野菜」が味に一癖あって、受け付けない日本人が多い。私は好きだ。嫌いな人に言わせると、俗称「屁ひり虫」土地によっては「かめむし」と言うあの虫の臭さが少しあるそうだ。

 

 軽く一杯やるなら、焼肉屋がいい。炭火で、皿に盛ってくるのと串焼きと両方有る。材料は豚肉、牛肉、羊、犬、驢馬、烏賊、貝と豊富に揃っている。大体4人で行ってビールを含め、腹一杯食べて飲んで、70元から100元(1000円強)。

冬はどの店も“火鍋”=「鍋料理」を出す。日本のしゃぶしゃぶと殆ど同じだが、注文の仕方が少し違う。中に入れる肉野菜はもとより、鍋の数薬味の数まで一つ一つ注文する。値段はやはり4人で70元から100元。

 鍋物と焼き肉屋は、バイキング形式の店もある。飲物は別で28元(約420円)。

  四川料理は辛いのが売り物。鍋が半分に仕切ってあって、辛い方は知らずにいきなり食べると、まず「うっ」と唸って目を剥いたまま、暫く口が引きつって物が言えない。その後全身に汗が出る。それでもまた食べたくなる。辛いぞと心構えをして食べると、美味しい。

 

街角の食べ物はやはり“糖胡芦”=「さんざしの実を水飴でまぶしたお菓子」。一本5角(約7円)。甘酸っぱくて美味しい。私は中国を代表するお菓子だと思っている。近ごろはビニールをかぶせているのが多いが、以前は水飴の上に土埃がまぶされていて非衛生的だったので、母がなかなか買ってくれなかった。残念ながら秋から冬にかけてしか無い。

  ウイグル族が道端で売っている羊の焼き肉(シシカブ)も旨い。一本2角(約3円)。これを十本も買って、香料をたっぷり付け頬張りながら人混みの中を歩くと、グルメ餓鬼大将といった気分になる。これは立ち食いに限る。

 その他に子供のとき食べた街角の食品で懐かしいものと言えば“元宵団子”がある。これは元々旧正月15日“元宵節”の頃食べたものだが、冷凍食品の普及でいつでも食べられるようになった。“月餅”は仲秋節前後には街にあふれるが、日頃はお目にかかれない。

他に粽、餅菓子はいつでも売っている。値段は一個1元しない。

  焼き芋が大きなものでも1元しない。

向日葵の種や落花生も1元買って来たら三日分ある。ビールの肴に合うのでいつも切らさず買っている。

 

ビールと言えば一瓶2元。水より安いからつい飲みすぎる。

中国のビールは戦前のドイツの技術と日本のKビールの技術と設備がそのまま残っていて、最高に美味い。なんでもソ連が旧満州のあらゆる生産設備を根こそぎ本国に持ち帰ったとき、ビールだけは要らないから残したそうである。

ビールの肴には、鶏の脚、豚の足の茹でたものが合う。中華料理は例えば鶏、脚でも鶏冠でも捨てる所が無い。羽毛以外は皆食べる。

 

中華料理は最低でも4人は一緒に行きたい。日本料理みたいに一人前で頼むのでなく、料理単位で頼むから大勢の方が種類を多く食べられる。大体皿数を頭数と同じにして注文すると、いい宴会になる。私の行き付けの店で、何種類かの料理を少しずつ一つの皿に盛りつけてくれる店があるが、普通はやってくれない。 

  宴会はテーブル単位で予算を立てる。店の格にもよるが。普通のところで、10人で一卓400元(約6000円)が目安。今回宿舎の服務員さん達に、日頃お世話になったお礼に一席構えた。カラオケ付きの広い部屋を借り切り17人、飲物代一切含めて1200元(約18000円)でお釣りがあった。

  北京の「前聚徳」といえば、北京ダックを食べさす一流の部類の店だが、6人“全鴨席”=「北京ダックのフルコース」で1000元(約15000円)強だった。

 

 北京ダックのよい所は持ち帰りが容易なことだ。北京ダックはご存知のように、家鴨を炙った肉を薄くそぐように切り、それを薄い餅みたいなもので、葱と一緒にくるんで食べる。残ってもきれいから持ち帰り易い。

 例えば“東坡肉=「宋の有名詩人であり政治家でもあった、蘇東坡が考案したと言われる豚肉をぐつぐつ煮込んだ料理」等も、いかにも中華料理らしく、脂ぎって美味しい。しかし残っても持って帰りようがない。鯉の丸煮みたいな料理もそうだ。その点北京ダックは持ち帰りが前提のように、店でもパックを常備している。

 

 薄い餅にくるんで食べるのは、家鴨に限らない。瀋陽で看護婦学校の生徒が、自分達の行きつけの店で私をご馳走してくれたのが、薄い餅に野菜や肉をくるんで食べる店だった。“春餅”と言うそうだ。学生は安くて美味しい店を知っている。二人で満腹して、私は酒まで飲んで11元(約170円)だった。

 

  中華料理は一般に食べ残る。と言うより食べきれない程出すのが、主人側の、もてなしの気持ちの厚さを意味し、食べ残すのが、十分に頂きましたという客側の、感謝の気持ちの表現となる。

 割り勘の習慣が無く、一緒に食事をすると必ず、主人と客の関係になるから、常にテーブルは料理の山になる。これはどうも私達日本人には慣れ難い。

 中国人の家庭によばれた日本人がよく失敗するのは、残したら悪いと思って綺麗に食べる。主人側は足らないのかと思ってまた出す。又食べる。最後は悲鳴を上げる仕儀となる。

 ある日、中国人の友人の家で夕食をご馳走になった。ここで珍しいご馳走を頂いた。“煎蛹”=「蛹の炒めもの」である。絹は中国の特産品。その蚕の蛹をどこの市場でも売っている。

 料理の前に奥さんがご丁寧にも、「ほら、美味しそうでしょう」とまだ動いている、長さ6センチ位、太さはたっぷり直径1センチを越える、緑色の丸々肥えた芋虫を見せて呉れる。日本のご夫人が、ぴくぴく動く鯛の生け作りの前で、「まあ!美味しそう」と感嘆の声を上げるのと同じだろう。味は変わった甘味がするが、ゆっくり味あう余裕が無い。舌に蚕の殻が残るのを食べ慣れた人は上手に出す。美味しいと言って食べたが、二匹まで、悪いが私も食べ残した。

 

食の本場中国暮らしといえども、毎日料亭で宴会しているわけではない。日頃は宿舎の食堂で家庭料理を食べている。朝は先に述べたお粥を主体にしたもの。昼と夜は、豌豆、馬鈴薯、茄子等の油炒め。骨付き肉、太刀魚の揚げ物。 同じようなものが続く。一日の食費が、三食全部で10元(約150円)に満たないのだから、贅沢は言えない。

 太刀魚は市場でゴミのようにして売っているのを見ているので、あまり食欲が湧かない。ある日少し腐敗臭がしたので、腹を壊したらいけないと思って、その後注文をひかえていたら、魚は嫌いかと食堂の服務員が尋ねる。「私達は海洋民族だからね」と答えたら、「食べ飽きたのですね」と好意に解釈して呉れた。この人達の前で「あー魚が喰いたい」と本音を大声で言う程、私も臍曲がりではない。

 

 寮で食べるご馳走と言えば、工業大学でロシア語を教えているロシア娘ダーニアが作って呉れる本場のビロシキが最高に旨い。お返しにこれも工業大学で日本語を教えているY先生が、本場の茶碗蒸しやおでんを拵えて呉れる。申し訳ないが私は専ら食べる人。

 食堂は、朝7時半。昼12時。晩5時半。きちっとしている。時間的にも拘束がきついので、朝を除き昼と晩はどうしても外食の機会が多くなる。

 

外食は近くに軒を連ねている、大衆食堂で食べる。私の好みは“京醤肉糸”=「豚肉の細切りの油炒めと、玉ねぎを刻んだものを、干豆腐と言ってかわいた豆腐を薄く切った物にくるんで食べる」。他に“肉炒油菜” =「豚肉の野菜炒め」。

 ここでついに、究極中の究極のご馳走にありついた。

 料理の名前は知らないが、春雨とキャベツを豚肉で炒めた物。豚肉の脂が春雨とキャベツに程良く沁み渡り、これぞ中華料理の真髄とも言える。

 黒い干し葡萄のような物は茸だろうか。噛むと「ぐしゃっ」と言うか「かさっ」言うか、得体の知れない歯ごたえがする。

  店の小姐 =(娘さん)に「これなに?」と聞いたら、

 「ごきぶりでしょう」と、にこっと笑う。

 「また居たよ!」と私が驚きの声を上げるのにも、

 「ほんと」と、彼女更に可愛いい笑顔を見せる。

味を尋ねられても困る。知らずに食べたときは「なんだこれ?」と思っただけだったが、さすがに二度食べる気にはならない。これを食べたら、蛇も蜥蜴も蠍も、皆如何物とは言えない気になった。