「その方面」

 

 「ところで中国はどうだった」

 私の悪友がこう尋ねるとき、彼は「改革開放経済」の成果に深い興味を持っている。
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 そこで私が登小平亡き後の安定路線の現状について滔々と述べると、彼は鼻白む。彼が興味を持っているのは「その方面」の開放だから。

 「中国で良い人出来ました」とご婦人が私に尋ねるときは、「そのお年では無理でしょうね」といささか揶揄の響きが無いでもない。

 そこで「当人に直接お返事させましょう」とお誘いしてみるのだが、私の真意がご理解頂けないのか成功したことが無い。

 一年も現地で暮らすと、それなりに私の悪友やご婦人方が興味を持たれる「その方面」の伝聞はある。

この普遍的かつ一般的、そして健全な話題を堂々と正面から語れないのは、私に些かの社会的事情があるからである。それでもやはり聞きたい?えい!喋れないところは書いてみよう。もし、私の伝聞がリアルに過ぎたとしても、それは読み手の感受性と想像力の豊かさを意味し、決して私にリアルな体験があった理由ではない。これはあくまでも伝聞である。

 

 言い訳めいた前置きが長くなった。人類の歴史と共に存在した職業は、ここ社会主義の国中国にも勿論ある。問題はその開放度だ。

 中国生活も半年を過ぎたあたりから、周囲の人が色々と特別に気を使って呉れる。

  「何かお困りのことが有ったら、なんなりと相談して下さい」と。

  そのご好意の多くは額面通りに受け取るべきだろう。しかし、料理屋の女主人が同じ言葉を使って、更には携帯電話の番号まで教えて呉れたとしたら、少し意味が違う。もしその電話に、本当に困っているからといって繕い物の依頼でもしたら、国際野暮取締委員会に提訴されるかもしれない。この手の店の主人は、「妹」を何人か持っている。

 北京の一流ホテルに行くと、一目でそれと分かるお姫さまが屯していて、日本語で「二万円」と声を掛けて来る。供給があるということは需要がある証明だろう。

瀋陽等東北の都市ではこのような風景は目にしなかった。需要が無いとも思えないが、日本人を含め「外人」の絶対数が少ない。だから中国人相手となると、自然地味に人目に付き難い場所に潜っているのだろうか。

反面、性病治療のポスターがやたらと目に付く。原因の方は深く静かに潜行しているが、結果は表通りを横行しているのだ。

 因みに、中国のホテルは結婚証明書が無いと男女同じ部屋に泊まれない。しかしこれも聞くところによると、中国人に対しては厳しいが、日本人を含め外国人には、何の制約も無いと言っていた。

 

 ある日、その筋に強い影響力を持つ友人が, 何か身の上相談は無いかと心配して呉れた。「自分と一緒なら何処へ行っても心配ないから」とも言う。

 「特に困ったことは無いが、美味しい酒が飲みたい」と言ったら、彼すぐ理解して呉れた。

 彼が案内して呉れた場所は、新開地風の周りには取り壊された建物が多い、場末の仕舞屋。中は意外に広く、カラオケ設備もある。私達が通されたのはオンドル(床下暖房)のついた四畳半程の部屋。「中国風四畳半芸者遊び」と洒落込んだ。とは言えここで都々逸というわけにもならない。

吉林省出身だという十九才色白ぽっちゃりのお嬢さんが、文字通り体当たりサービスをしてくれる。それをこちらも、降り懸かる火の粉とばかり受け止める。

 謎謎等トークサービスもして呉れるから、ここは楽しい中国語会話教室でもある。

謎は例の「馬が東向きゃ尻尾はどっち」→「下」といった類のたあいの無いもの。彼女の豊満な体にぴったりとフィットしたチャイナドレスから連想して、私が出題したのは(男式旗袍)(旗袍)はチャイナドレス。「男のチャイナドレス?」彼女が首を傾げるから、実演してみせたらケラケラ笑う。どうやらご理解頂いたらしい。

  私はちょっと横を向いて、前のファスナーを外したのだ。答は、日本語で風流に言うと「社会の窓」。お粗末でした。

でもこれは正直ばか受けしたから、もし十年後の中日辞典に(男式旗袍)=「社会の窓」と載っていたら、ここに著作権を宣言しておく。

 酒の味はともかく、十分に楽しく満足した。お値段だが、料理が三皿に飲み物込みで百五十元。チップ二人分二百元。併せて三百五十元(日本円約五千円)。後お二階への特別料金が相場は中国人値段で二百元とみた。日本人なら恐らく倍額。

 止めて欲しいのは、いかにも黒色社会(やくざ)のお方とお見受けするお兄さんがやたら目に付くことだ。あるいはこちらの気持ちにやましい点があるから、枯れ木が尾花に見えるのかも知れないが、変な目つきで見られると、ここで行方不明になったら遺体も出ませんぞと言われているみたいで、恐怖が理性を呼び覚ます。

ここは、やはり一人で来る勇気は湧かない。

 

 瀋陽市の某所、「洗頭館」の看板が交差点を夾んで十軒近く見える。素直に読めば、頭を洗う所。しかし料金五十元(約750円)は大学教授の月給五百元に比べてべらぼうである。そこに十人あまりの小姐「お嬢さん」がいて按摩をしてくれる。どこの頭を洗って呉れるのかなと、あらぬ想像もしたくなるが、これが結構流行っていて時に順番待ちになる。表の商売だけでも相当らしいが、チップ百元を要求されたこともあるから、体当たりサービスも日常的に行われていると見るべきだろう。

 大きな旅館には大抵サウナがある。サウナだけにも入れる。旅館でなくサウナの専門館も有る。サウナ自体は健全営業だが、サウナの二階に湯浴み客がビール等を飲む場所があり、ここにいわゆる小姐が按摩師として待機して居る。

 ある日宿舎のボイラーが故障してサウナに行った。ちょうど昼時だったので客は殆ど居ない。小柄な南方系の顔立ちをした小姐がミニスカートで居る。彼女あきらかに私に、私が彼女に抱く好奇心以上に警戒心を持っている。誰かの命令で私を偵察しているのかもしれない。

弁当を食べるかと私に薦めて呉れる。彼女四川省出身だそうで、立膝でミニスカートの魅力を惜しげも無く振り撒いた姿勢を十分に拝観しながら、四川料理名物の特別辛い春雨の炒め物をご馳走になった。

中国語でミニスカートは(迷ニイ裙)「貴方を迷わせるスカート」。言い得て妙なり。少なからずくらくらしたので

 「別の部屋でゆっくりお話ししましょう」

 と軽く冷やかしのジャブを送ったら、艶然たる笑みをたたえたまま首を横に振られた。残念ながら彼女の警戒心を解くことが出来なかったらしい。

 ある日旅行でホテルに泊まったときのこと。部屋に小姐から電話が掛かった。

  「これからお部屋に、按摩に伺います」

 「要らないよ、僕は、肩はこらない方だから」

 しまった!彼女の按摩は肩こりではないのだ。と気がついたとき既に遅し。電話は切れていた。

 この手のお誘いはエレベーターの中でもある。何故かは知らねど、こんなときに限って私の耳は補聴器が必要になる。

 

  私がタクシーに乗ると、自然に話題がそこに行く。他の人はあまり経験が無いみたいだから、これはやはり私自身の不徳の致す所なのだろう。そして運転手君例外無く皆物分かりが良い。

 「このような事は決して恥ずかしい事ではありません。私が国際問題解決の為に協力しましょう」と我が事のように親身になって呉れる。

 更に辞書には載っていない「その方面」で必要な中国語を教えて呉れて言う。

 「貴方の中国語なら、こちらから日本人と名乗らない限り絶対にばれない」

 お陰で私の中国語も、「その方面」で愛を語れるレベルまで上達した。

 瀋陽に「河畔花園」という高級住宅街がある。ある日、日本企業の友人をそこに尋ねての帰り、入り口で待っていたタクシーの運転手が女性だった。瀋陽でも女性ドライバー自体は珍しくない。この美人ドライバー下心を持ってこの高級住宅街で網を張っていたのか、或いは私の人徳のしからしむる所か、例によって話題はそこに落ちついた。

  「小姐(お嬢さん)を紹介しましょうか」

 「そんなに簡単ではないだろう」

 「簡単ですよ。どんな娘が好みです」

 「君みたいな美人なら申し分ないね」

 「では私で如何です」

 清純派女優が酔いに身を任せたような眼差しで、うっとりと私を見つめる。

 「駄目だよ!そんな目で僕を見つめちゃ」

 私は冷静だ。しかしもう一人の分身正真神明の日本男児が冒険心旺盛で、私の心は葛藤に揺れる。私の心にお構い無く、車は交差点をわき道にそれた。

彼女タクシードライバーのくせに運転が下手くそだ。暗い路地をゆっくりと縫うように行く車の動きに、私の心は期待と不安が重なり、喉がひきつるように渇く。

突然、闇を引き裂くようにパーンと大きな破裂音がした。

タイヤがパンクしたのだ。タイヤのパンクは程無く直った。しかし私の下腹から抜けた空気はついに入らなかった。