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 嗚呼無情

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 岡崎城を遠望
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 4月17日。火。晴れ強風。安城(愛知県)。1548/51キロ。

 

 沿線の郵便局で、キャッシングのため自転車を停めたら、自転車に乗った90歳という男性に声を掛けられた。少し耳が遠いが元気なお声で「頑張って下さい」と嬉しいご声援を受けた。この方にとっては、90歳になっても自転車は絶対に必要な足なのだ。

 走っていても、朝の通学時間帯を除けば、お年寄りの自転車が一番多い。若い人は車だから。そういう私もお年寄りだが・・・

 

 最近お年寄りの自転車の事故が多い。昨日のテレビでも88歳の男性が轢き逃げされていた。

 年寄りは好んで自転車に乗っているのではない。車社会になって生活圏が郊外型になり、近くの八百屋も衣料品店も薬屋も姿を消した。今時、うどん一杯を出前してくれる食堂は無い。歩くには遠すぎる。車には乗れない。

 道路は車中心で、人は通る場所がない。歩道は名ばかり。歩くのすら困難な道は、車道に出ざるを得ない。歩行者天国は、そこへ行くまでが歩行者地獄である。

 横断歩道橋は、脚力で渡る橋ではない。一度自転車を押してみたら分かる。押す腕力が要る。それも年寄りの力の限界を超えるほどの腕力が。買い物して荷物を積んだら、まず絶対に駄目だ。

 信号機と信号機の間隔は、車には適当でも、老人には気が滅入るほど遠い。

 年寄りは、更に待ったがきかない生理的な弱みもある。待ちきれずに危険を冒した88歳の男性は、それでも横断歩道橋を渡らなかった非を、信号機のある歩道を渡らなかった非を咎められなくてはいけないのだろうか。

 車中心の社会で、年寄りは諦めている。

 諦めることは悲しいことではない。しかし、諦めた人間を轢き殺す社会は悲しい。

 それに目を瞑る社会は・・・嗚呼!

 人の人たる所以は、人が人に優しいことでは無かったか。

 自転車の旅は、人の優しさを求めた旅でもある。

 

 安全を 弥陀にすがって お念仏

 

 

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