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 東京今昔

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 4月26日。木。晴れ一時にわか雨。柏(千葉県)。1966/57キロ。

 

 丸二日の完全休養で、稚内までのエネルギー補給が出来た。

 

 甲州街道を経て、日本橋。ここを起点に水戸街道(6号線)へ入る。

 昔昭和30年から31年にかけて、立川に住んでいたことがある。丸の内電報局東京駅内分室で電報の仕事をしていた。

 立川錦町界隈は、夜道の一人歩きは、男でも恐ろしかった。テレビが普及し始めたばかりで、東京の散髪屋さんにはテレビがあると、驚いたものだ。

 そのとき、甲州街道を自転車で東京まで走り、都内を一周したことがある。当時は勿論歩道は無かったが、車道を走っても緊張した覚えがない。杉並区あたりはまだハニーカー(下肥を積んだ手押し車)があった。公衆便所は汚い場所の代名詞で、東京駅の便所とて例外ではなかった。新宿歌舞伎町界隈は、狭い路地に娼婦をおいた飲み屋が立ち並び、路地の入り口には「通り抜けられます」という看板がかかっていたが、実際に通り抜けるのはラグビー選手でないと不可能だった。両脇から、その手の女性の猛烈なタックルを受けたから。

 

 東京にビルが立ち並んでも、車が増えても、変わらないのは人が多いこと。しかし道を尋ねることが出来る人が居ない。人と人との間に「電波」が無い。

 言問橋を渡っていたら、自転車を押した年配のご婦人に浅草橋を尋ねられた。今通って来た道にあったので、丁寧に教えることが出来た。私は東京で必ず人に道を尋ねられる。田舎者は電波を出しているのだろう。

 江戸川を越えて千葉県に入ったら、急に電波が飛んで来た。ここは、すれ違う子供が会釈をする。

 

 田舎者 知らぬ同士で 尋ねあい

 

 

 

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