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 一大危機

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 5月5日。土。小雨後曇り。奥中山(岩手県)。2509/65キロ。

 

 雫石を藤原先生と小雨の中出発。正午、滝沢分かれに到着。豆腐田楽をご馳走になって、その名も「分かれ」で藤原先生と名残尽きないお別れをした。

 

 後の日程の関係もあり、今日は沼宮内で泊まる予定だった。ところが丁度高校ホッケーの大会があって二軒の旅館はどちらも満員。新幹線が止まる駅だが、田園都市でビジネスホテルなんか無い。町のキャッチフレーズは「北緯40度の町」とあった。アピールポイントも田園的である。

 旅館の人の話によると、「20分程行ったら、奥中山という温泉場があります。そこなら宿はあります」とのことだった。20分は、車の時間。空車で平坦路なら大した距離ではないが、荷物もある。どんな道路かも分からない。

 この先4号線は中山峠にさしかかり、全て上り。ここまで整備されていた歩道も、追い越し車線は歩道を犠牲にして作られている。少し平坦な所に出たら、左に奥中山高原4キロの標識があった。次の宿は一戸まで20キロ。山に4キロ登るか?行くも地獄行かざるも地獄。

 私は山の地獄を選んだ。「少し登ったらすぐですよ」と土地の人が励ましてくれる。しかし日本一広い岩手県の人が言う「すぐ」は、四国の人には近くない。未知の道は遠い。

 時刻は五時を回っている。北国の太陽は頼りない。はや朧月のように力を失って山陰に隠れようとしている。道端にはまだ根雪が残っている。リュックには少々のビスケット、ペットボトル一本半。ウィスキーの小瓶。着いても子供の日の今日、泊まれる保障はない。

 

 4キロ登ったら、確かに「奥中山高原」の看板はあった。しかし、子供の森、スキー場、温泉で構成される高原の施設は、これからが広いのだ。目指す温泉は、標識が示す方向の谷の向こうに、それらしき屋根が見えた。「参ったな〜!」と谷に向かって恨みの悲鳴を上げて、やっと着いたのが六時過ぎ。

 「生憎今日は満室です」

 「えーっ!」

 これまでなんとか我慢をしてくれた膝が、がくがくと折れた。

 「近くにもう一軒あります。そこなら大丈夫です」

 先にそれを言ってくれ。不機嫌になっていた膝も、やっと又機嫌を直してくれた。

 

 奥山や 春は根雪の 床の中

 

 

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