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 凄い男がいるものだ

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 5月19日。土。小雨。稚内。
滞在。

 

 風は依然として吹いている。強風注意報も出たまま。おまけに雨も少しぱらついてきた。気温は、何度か分からないが、道行く人はダウンのコートを着ている。ホテルの暖房も入った。

 

 今日も宗谷岬は断念する。二ヶ月ぶりで散髪に行った。散髪屋さんのストーブも入っている。髪は松山を出るとき、ヘルメットがかぶり易いように、坊主頭に近いほど短く刈ってきたのだが、耳を覆い長髪のようになっていた。髪も防寒帽のうちと、長めにして貰う。

 

 稚内市内見物を兼ねて、市が経営する「港の湯」という温泉に行ってきた。ここは、温泉の他に土産物屋、食堂コーナー、放送施設、町の歴史記念館、子供の遊び場、ゲームコーナー等を備えた、総合観光施設である。

 歴史記念館には、樺太に関するものが多くあった。間宮海峡の発見者間宮林蔵、その師の伊能忠敬の資料や説明もあった。どちらも、幕末が生んだ大偉人だ。

 伊能忠敬は、50歳で隠居後測量術を学び、56歳から72歳で死ぬまで日本全図の作成に従事している。最初に作ったのが蝦夷地、即ち北海道の地図だ。16年間で、何万キロ走破したのだろう。歩いた距離だけでも凄い。

 

 大日本 歩き尽くして 古稀の春

 

 北海道には、自転車でも凄い人がいる。美深で自転車のブレーキを修理したとき教えて貰ったのだが、渡辺さん。この人は現在83歳だが、80歳のとき福岡県添田町まで自転車で行ったそうだ。添田町は、美深町と友好町だとのこと。そのときの紀行文も書かれているとのことだったので、是非インターネットで発表するお手伝いをさせて欲しいと、名刺を置いておいたら、先日お電話を頂いた。原稿を頂けたら、帰り次第ブログを作成させて貰うつもりだ。

 まだ居る。ホテルの前の、お好み焼き屋「くるくる」の店長樋口芳朗さん。この人は30年目23歳のとき、稚内から沖縄まで1年半掛けて全国津々浦々まで一周したそうだ。アルバイトをしながら資金を作ったので、時間も掛かった。お好み焼き屋は当時大阪でお世話になった店で、その後も大阪で働いていたのだが、この度家庭の事情で帰郷した。

 「自転車はまだありますが、仕事もあるし、もう乗ることは無いでしょう」と弱気なことを言われる。

 何を言いますか。私の年になるまで20年あるではないですか。

 頑張ってちょうだい。

 

 

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