究極の安宿
 

                       悪路を越えて

   9月15日。北戴河~千安。86キロ。小雨後曇り。

 前夜からの雨がまだ降りやまず、かなりぱらついている。今度の旅行で初めて雨具を着用することになった。

 北戴河から、102号をそのまま走ると、天津を経由し、かなり遠回りになる。そこで天津をショートカットするような形で近道を選んだのだが、国道を離れると道は極端に悪くなる。おまけに昨夜の雨でぬかるみが酷い。

 鉄道の下をくぐる道が水溜りで池になっている。狭い歩道があるのだが、荷物を積んだ自転車を押して通るのは、慎重の上にも慎重が要る。

 300戸位の小農村の中を通る。集落の地名は確か桃園となっていた。集落の中は交通量が多いからだろうか。外の農道より凹凸が酷く、却って通り難い。

 レンガ作りの傾きが酷い民家の中にあって、学校だけ立派で異彩を放っている。一人っ子政策で、子供の身なりはここでも良い。かつての青洟を垂らして、しらくも頭の子は見かけない。

中国の心ある人は、明治維新を評価している。中でも教育制度の差が、日中の近代化の差だと思っている人は多い。新中国になってからでも、筆談が出来ない中国人は意外に多いのである。田舎の学校の充実は、中国の近代化に欠かせない。そしてそれは、着実に目に見える形で進んでいる。

北京から近いからだろうか。こんな所にも、小奇麗な乗用車が往来して私達の道を遮る。1992年、初めて中国に来たとき、車窓から一台も車が見えず、それがむしろ新鮮に思えたのだが、今は、車が見えない風景はまず考えられない。

 

国道沿線と違い、集落の近くは豌豆、生姜、茄子、落花生と作物の種類も多い。ビニールハウスの中はキュウリ、トマトもあるはずだ。

真新しいダイハツの三輪トラックが、都市近郊の農村が恵まれていることを物語っている。しかし、上海近郊の農家には遠く及ばない。あそこは、御殿が立ち並んでいる。

 

途中、橋の付け替え工事で、200メートルほどの橋が通行止めになっていた。下を迂回すると、気が遠くなるほどのぬかるみの中を、車の飛沫を浴びながら行かなくてはならない。

ここは徐さんと張さんの出番である。

まず徐さんが、工事責任者の制止を強引に振り切って、私達を誘導する。

身の軽い張さんが、ぬかるみの中を先回りして、通行止めの鉄条網の向こうへ回る。

後は、元中隊長で野戦訓練を経験している徐さんにとって、こんな鉄条網は目でない。ぐっと鉄条網ごと押し下げる。自転車を向こうの張さんに手渡す。最後に徐さんの介助の下に人が越える。

私達も、野戦に勝利したような快感で、思わず万歳をした。

 

野鶏?という小鎮に着いた時は4時を回っていた。鎮は一番小さな行政単位で、村とか町に当たる。

走行距離もこれまでの最高86キロに達している。これから先は道路工事で、見通しが立たない。10キロ程戻れば少し大きな集落があるのだが、誰も戻るのは気が進まない。仕方ない。ここで泊まることにする。

 

王隊長が、トラック運転手が泊まる安宿を交渉する。4元と言う事だった。値段に惚れて早速交渉成立。ところがである。

いつ掃除したか分らない部屋に、がたがたのベットの上にこれも何日間敷きっ放したか分らない真っ黒な布団が転がっている。テレビが二台あるが、どちらも点かない。点かないはずである。テレビとしてでなく、蚊取り線香の置き台として使われている。宿の人間は掃除する気配もない。

王隊長が見かねて、自分で掃除をした後「どうですか?」と聞く。

どうこうもない。こういうときは、下手に言葉を使わないことである。無言で、目一杯不満の表情をする。中国語は、表情も感情も大事な文法だ。

張さんが、もう少しましな部屋を見せてくれと言う。10元出せば有ると言う。それにしようと見てみたら、内装は新しく一見奇麗だが、よく見ると布団は更に酷い。周さんが臭いと顔をしかめる。

この臭いは何だ。堆肥?犬の毛を焼いた?大蒜?腐った魚のはらわた?ゴミ箱の中で腐った野菜?

なんでもいい。これまで経験して知っている一番臭いものを、アンモニアに浸したと思えばいい。普通嗅覚は麻痺し易い感覚だが、この臭いは益々鼻に染み付く。

布団は交換すると言うが、交換する気配はない。交換する布団があれば、こんなことはしていないだろう。交換してもよくなる保証は無い。

決定的だったのは、便所である。

屋外の中庭を30メートルほど歩いた隅に、レンガ作りの小屋見たいなあばら屋があり、そこに四角い穴を開けただけのトイレがある。おまけに糞尿の番をするように、すぐ側に犬が繋いである。

これは絶対に駄目だ。張さんが、「10元の部屋は高いだけで、なおぼろいではないか」と言っているのに対し、「嫌なら出て行け」と宿の主人が怒鳴っている。

こんな宿には、頼まれても泊まれない。

Fさんに、「本当は私が辛抱できないのだけど、貴方の身体を理由に断らせて下さい」と言ったら、「私も辛抱できない、どうぞどうぞ」と言って貰った。

「金額の問題ではない。これでは安全に着くための体力が持たない」と宿替えを申し出る。

ほどなく「40元ですがいいですか」と、王隊長が風呂屋の一室を見つけてきてくれた。究極の安宿からみたら、どこでも高級ホテルだ。

中国人の皆さんも、5元で、もう少しましな宿を見つけたようだ。

 Tさんが、「友好という立場から、別々でいいのですか?」と正論で異議を挟む。

 「安全第一です。この問題は多数決でも、譲り合いでも決められません」と強引に独裁者を通させて貰った。

 

 その晩は激しい雷雨で停電になる。あの豪雨の中をどうやって便所に行くのか。想像しただけでもぞっとする。

 私が思った究極の安宿は、多分本当の究極の安宿からみたら、まだ高級ホテルかもしれない。布団があったから。