北京歌日記

   
       黍炊く間の夢は 泡沫の中に醒めり

               虚ろなり

          埋め草にせん この歌屑を

 

    落陽

 落ちる陽に今日の営み鍬を置く 草低く吹き牛馬の鳴く

 麦畑舞台に影絵写しけり 地平の夕日背景にして

 年老いし農夫夕日と佇めり いずくから来ていずくに去るか

 平原にトーチカ一つ寒々と 歴史の証夕日を受けて

 故郷に想いは馳せど果つる身の 祈りを夕日に託し目を閉ず

 国敗れ逃れる旅路乳飲み子の 瞼に映る夕日は悲し

 落ちる陽に涙せし人幾人か 我も堪えれず亡き母のこと

  落陽に老いを重ねて涙する 地平の彼方ぐらぐらと落つ

  老いの血をかき立てにけり落ちる陽は 悔いは残さじ輝き燃えん

  夕映えは爆音更に轟かせ 首都空港に鶴舞い上がる


        木枯らし

 木枯らしの中に佇み君を待つ 消え行くあかりかぞえつゝ待つ

 夕焼けに映える煉瓦が凍えけり 吹く木枯らしに彩り増して

 煩悩も恋も未練も吹きちぎる 渾河の畔シベリア寒流

  一陣の落ち葉とともに吹き抜ける にじり寄る君肩震わせて

 母を焼く煙一筋降り来たり 木枯らしに乗り我が耳もとへ

 木枯らしは酷き男か鞭を振る ポプラの悲鳴耳もかさずに

 木枯らしの何処からとなく吹き込めり 心は寒しペチカ燃えれど

  木枯らしは窓の目張りを震わせて 要らぬ土産持ちて訪る

  木枯らしに身を切られけり床に臥す 零下の思い久しく知らねば

  木枯らしの暫し吹き止む日溜まりに 束の間の春遠き日を待つ

 

        冬至

  霧深し君が窓辺に灯はともる 短き一日いま明けんとす

 閉ざされし冷たき心陽を浴びて 春をこそ待つ冬は至れり

 人の世の短さを知る冬至かな 思わぬ人の訃報を受けて

 短日の北京はまさに暮れんとす 裸のポプラ重き雲負い

 黄昏の幕慌ただしく閉じにけり 勤め帰りの足を急かせて

 陽は落ちて焼き芋売りの息凍る 市のざわめき途絶える中で

  長き夜を韓国の友交わりて 伝統料理パッチュを食す

 しだり尾の長き一夜は故郷想う 柚湯に南瓜熱き甘酒

 胸晴れずため息を堪え一人飲む 二鍋頭は長き夜の友

  冬至り長き一夜は霧の中 影薄く引き灯にじませ

 

       

  いわ園の月は恐ろし昆明湖 水に引き込む人の心を

 月陰り吐く息白し肩寄せる 二人の道は淡くかすみて

 高層のビルの谷間に漂え 北京の月はおぼろにかすみ

 忘却を月に誓いて涙する 未練と笑え拭えぬ想い

  我が心淡き光で慰める 有明の月ベッドを照らし

 叱られて一人家出て見る月は 母の面影写していたり

  三日月はあわれなるかな身を細め 誰に気兼ねす木陰に隠れ

  仲磨呂の月は三笠に出しかも 我が胸照らす石槌の月

  長城を照らす月あり寒空に 横たわる龍彼も我見る

 喜びを月に託して再会の 仲秋を褒め声はずませる

 

      

  白銀は悶えを誘うと雪女 妹背のもとへ走り去りゆく

 木枯らしは雪と笛吹き舞い上がる 白一色の帷をあげて

 目隠しを外し憩える粉引きの 驢馬のねぐらに雪は吹き込む

 雪けぶるヘッドライトに並木映え 丑みつの四環人影もなく

 明けやらぬ学びの庭は音もなく 白一色に変わりていたり

 雪かきの中国娘汗を拭く 片目つぶりて人民服務

 雪降りて娘はしやぎ飛び出せり たくまぬポーズへカメラを向ける

 愚痴未練恥ずかし心さらけ出し 北京の雪で洗い清めん

  国破れ雪にまつわる思い出は あまりに厳し死と隣あう

  雪の日は便も緑に変われりと 獄舎の寒さ友は語れり

 

        明星

 恋いすなばあの星にこそ膝まづかん 念じ念じて想い届けん

 咽び泣く乙女の吐息聞きとげり 窓辺にありて明けの明星

  南天に王子優しく輝けり 枯れ葉と語る明けの明星

 薄墨の霧に閉ざされ沈む屋根 ゆるやかに去る明けの明星

 覚めやらぬ道清めるかさわさわと 北京の朝は星を戴き

  明星の光鋭く凍り付く 太極剣の剣の刃先

  明星に願いを込めりひたすらに 無限の彼方へ我を連れ行け

 山間の渓に響けり星の声 鶏和して朝霧は晴る

 明け空に消え残る星瞬けり 新聞少年励ます如く

 消え残る星は涙をまた誘う 少年の日の想い重ねて

 

    老い

  生涯は鏡中にありと人の言う 我も思わず顔をそむける

  忌々し反射神経萎えたるを 回転ドアに足竦ませて

  若き日の悶え懐かし老いの血は 騒ぐを覚えどたぎるに至らず

 悔しかりかなわぬことを思い知る 年の故とは言いたくなけど

 覆水は盆にかえらずと覚えども せめて止めよ時の流れを

 人の世の幸せはなにか考える 静かに老いて果つるのもよし

 過ぎし日の渚のほこらは少年の 心を宿して潮騒を呼ぶ

 成長と呼ぶべきものか知らねども 眼鏡の度数年毎に増す

  老いらくの恋路を阻む年の川 一足跳びに渡り追いこよ

  かの君は可愛く老えり古希なるも 背中の鞄揺すりて歩く

 

       

 天命を知る年過ぎて遠けれど 不惑の境地いまだ至らず

  老いの胸たぎらせる火煩わし 独りかき消す術は知れども

 赤裸々の思い告白受けたれど 覚る術なし女の性は

 定めとは悲しきものか求め合う 凸りしものと凹めしものと

 求められ応える術に迷う君 愛の証を聖書に探す

 乱れなり夜毎に変わる妹背抱く イエーローキャブの罵りを背に

 秘め事と覚えしは我老いたるか 目のやり場なし若者の性

 妻病みて体心に伴わず 夜々の営み絶えて久しき

 椿姫虚実は定かにあらねども 激しくあげる悦びの声

 見回りの鬼目を避けて手慰む 獄舎の月は心にともりて

 

    恋模様

  人が人好いて織りなす恋模様 四季を問わずに花盛りなり

 はにかみのちょび髭生やす若者に 寄り添い縋る八重歯ぞ可愛い

 翔んでいるつもりの女翔びそこね 水辺さまようあひるの如く

 中国の若者の恋い清々し 恋愛中も一夫一妻

  心なしあるひとと腕組交わし ある青年の心傷付く

  こと更に気付かぬ素振りする我に 逃げた女の笑顔うとまし

 恋いかくも恐ろしきものか耳覆う 女が語る女の性は

 坊さんと見れば心を迷わせる 、自らも言う変わった女

 青い目の恋人達の習慣は 軽き口づけ軽き流れで

 篝る火に女あまた集い寄る 炎に焦がす屍晒して

 

        悲恋

  余りにも悲しき恋いのみ垣間みる 旅の愁いかもろき人の世

 言葉なく涙潤ませ頬よせる 中国娘青き瞳と

 同胞の蔑みの目を堪え忍び 君が愛すはイタリアの友

 添い遂げる茨の道は遥かなり 国の垣根を隔てゝ愛す

 唐突の愛の告白晴天に 嵐を呼びて乙女をいたぶる

 古き恋い拭い切れざる女あり 今日もさまよう風と腕組み

 いきなりの男の求め戸惑えり  聖書に落とす乙女の涙

 仮初めに男の純情もてあそび 海越えて去る異国の女

  故郷よりの別れの便り前にして 鬱ぎ込む友顔青ざめて

 ロシアまで失恋の旅語る君 作る笑顔に深き傷見る

 

       

  可愛さに目覚めはにかむ少女あり 笑顔のうなじ軽く傾げて

 こと更に女を捨てた態を見せ 昔の色香どこか香ぐわす

 バーグマンほうふつとさす君なるも 何故か一人の青い目寂し

 海猫が人の娘に化けたるか とぼけた笑顔瞼離れず

 白血症死のカレンダーと共に寝る 女妖しく男惑わす

 髪黒く瞳明るく歯白し 高根の花に蝿は止まらず

 よく見ればお多福の姫と覚えども 惚れた欲目にゃかぐや姫なり

 美人にはあらねどおいら引きつける そんな女を探し求めて

 チエホフの可愛き女は君なるか 男の言葉常に重んず

  女には顔見あたらずと我思う 化粧の下は夜叉か菩薩か

 

        老恋

 恋いあらば閻魔様とも握手せん 地獄の釜でゆでよ我身を

 ステッキの代わりをすると微笑みて 君は明るく我を誘う

 幼日の甘き思い出語らんと 頬に手をあて目を瞑る君

  流れ行くうつろうときに身をまかせ 満ちたりし顔君はまどろむ

  君に似るスクリーンの女優見つめつゝ そっと手をとり息からませる

 かいな組む胸の温もり気恥ずかし ほどきて示すオリオン星座

 若人に混じりディスコを踊りけり 宴の後の汗爽やかに

 ほろ酔いの瞳潤ませしだりよる 一輪のバラ刺見あたらず

 可愛さは余り余りて君眩し 後すざりつゝたじろぐ我は

  君抱きて膝のしびれも心地よし 干し草の香に頬埋める我

 

        別れ

 唐突に別れの言葉投げし君 そのことわりは我にもあれど

 別れには要らぬ言葉ぞ「有り難う」 ただ「さよなら」と言って欲しかり

  「冷めました」凍える声を残し去る 君の背中に縋る目を追う

  いま何故にぷつりと君は冷めたるか 金の切れ目と思いたくなし

  去る理由は若き恋人故なるか ならば怒らず巣立ちとぞ思う

  「行かないで」たった一言何故言えぬ 意地の鑢で身を削る我

 頬べたの引きつる思いに堪えかねて 身を翻し君の前去る

  ピエロ去る作る笑顔を歪めつゝ 風吹く舞台拍手聞こえず

 我が胸を夜汽車の汽笛引きちぎる 眠れぬ想い乗せて遠のく

 遠き日の美しき別れ思い出す ただ涙して言葉なかりき

 

    怨み

 我が胸の悔しき想いさらけなん この野良猫め何処へでも行け

 老いの血を騒がせりまゝ去りし君 呪いの言葉背におばたれよ

  我が側が居心地よしと言いたるは 山吹色の椅子に惚れしか

 一度だに愛したことはなかりきと 率直に述べ我が許を去る

 尊敬の虚しき言葉ではぐらかす たたら踏んだる思いぞ悔し

 その色香二匹の牡を弄び かくも我が心いたぶるか君は

  何故かくも男をなぶるにたけたるか 天性なるか椿の姫は

  顔歪め呪いの言葉唱えれば 何故か安らぐ心ぞ悲し

  オレサマヲコケニスルダケシヤガッテ ベンジョノナカニオチテシニャガレ

  もし我に上田秋成才貸さば じっくり書かん男の怨み

 

        諦め

  優しさは我が女々しさの隠れ蓑 悶々の胸冷えるのを待つ

  諦めを人に説くのはやすけれど 我身となると堪え難きもの

 いつの日かこの日が来るは我も知る 少し早めに来ただけのこと

  ひとときの盲目を恥ず嵐過ぎ 北京の空に雲一つなし

 傷癒えて羽根を揃えて飛び立てり 誘う自然にさえずりながら

  喜びの隣に住まう悲しみも 共に隣人付き合うべきか

 北海はその名の通り凍りたり 淡き想いを閉じこめるごと

  「貴方には帰るところがあるのよね」 我が妻の名をさん付けで呼ぶ

 吹く風に乾けし落ち葉囁けり 北京の夜はかさこそと更く

 夢覚めり静かに思う過ぎし日を ガラスの人形我が手で砕く

 

       

  忌み事は全てわが身に引き受けて 我には常に優しくあれり

 糸屑の一筋までも気を遣う 我はあだ名す姐さん女房

 遠き日に君を傷つけし一言は 苦く淀みて我が胸の澱

 我々は歴戦の友過ぎし日の 数より多し戦闘の数

 奔放に振る舞いたりと思えども 気がつきみれば釈迦の手の内

 若き日のパチンコ癖を妻愚痴る 些細なことぞ我に言わせば

 いい年でときに激しく争うは 理解求める我のわがまま

 振り返る40年の宮仕え 出世遅きに妻は愚痴らず

 もどかりしリュウマチの痛み側に見て 我が出来るは念ずるのみか

 いつの日か共に果てんと誓いしは 慌てはせねどその日を待たん

 

    愚痴

 お人好し我を評して妻は言うこ のことなるか遅き臍噛む

 別れかた教えぬ中に振られたり 泣き笑うのみ身から出た錆

  悪女ほど可愛く見えり猫のごと 飢もじきときのみ膝にじゃれつく

 今更に妻の教えを思い出す 若き女に誑かされなと

  逃げ道に先回りして待つ女 男のずるさやんわり詰る

  君は知る甘き想いは絵空ごと 苦き想いに砂糖まぶして

  ひたすらに脂を流す蝦蟇蛙 鏡の前で身の程を知る

  無骨なり胸の刺抜く術知らず 酒に託さん痛き心を

 馬鹿だなあ振られるために恋いをす 一つ言葉で苦き酒飲む

 涙腺は異常発達するものか たわむれる物探しさまよう

 

        嫉妬

  我睨む瞳の奥に燃える火は 女の業を秘めて輝く

  猫鼠いたぶる如く苦しめる 抱かれし思いを我に語りて

 何故かくも乱れ狂うか我が心 弥勒菩薩が夜叉に見えたり

 針山に身を投げ出して試みん 焦がれし胸とどちらが痛し

 恥ずかしき思い隠してさりげなく 意味無き笑顔残し立ち去る

 妬き餅は中国語では酢を喰うと 言いえて妙なり酸っぱき味す

  もし我に悋気するならそれもよし 覚えはなけど悪き気はせず

 妬かるゝは心地よけれど妬く側は 有り難くなし砂噛む思い

  我が妻は我を信ずか諦めか 妬いてくれざる味気なきもの

 若造が何処で覚えし妬き餅の 恋の手管で乙女いたぶる

 

    未練

 せめて肩抱かんと欲しにじりよる これを未練と拒むか君は

 未練なり最後の言葉怨み言 悪女の情け深きを想う

 君の前幾人か牡過ぎ去れり 我も一人か蟷螂の餌

 悔い重し別れる時期を誤てり 今日の責め苦はあの日の未練

 散り惜しむ梢の一葉病葉の 去るべきときを来るを知れど

  片隅に蜘蛛一匹うずくまる 去りそびれしを恥ずるごとくに

 虚しけり一人果てなん旅の空 女の虚像かりそめに抱く

  君我に父を求めしは知りたれど 我も牡なりときに堪えれず

 いささかの女心を覗きたり 闇の中なる蠢くものを

 優しさの仮面の下に潜む我 見せたくもなし知りたくもなし

 

        茶館

 裏道の暗き灯を縫いてゆく 場末の茶館安らぎ求め

 ほのぼのと安らぐ空気漂えり 茶館の娘笑顔並べて

  プレスリーラブミーテンダー沁み透る 一人くつろぐ心の襞に

  ジントニに夜汽車の汽笛影映す 想いを馳せる銀河鉄道

 蟋蟀が歌奏でしはいつの日か 人無き茶館すきま風吹く

 持て余す五尺の体無寥なり 茶館の隅に一人横たう

  いつになく鬱ぎし我を訝りて 茶館の娘首を傾げる

 苦き茶で泣けるものなら泣くもよし 店の娘に涙隠して

  チャップリンとぼけし笑顔もの悲し 誰がために貼る壁の一枚

 感冒茶汗を誘いて効き目あり 心の風邪にも効き目試さん

 

       

  甘き酒涙混じればほろにがし 飲み過ぎし日は苦しと思う

 二鍋頭北京の酒は銘酒なり 値安くて酔い心地よし

 この酒に限り偽物無かりけり 民衆の酒二鍋頭は

 酔い覚めの体節々痛みけり 覚えは無けどそれぞ原因

 白酒にマッチ灯せば燃え盛る 我が心燃せ何も残さず

 我を見て明るき酒と人は言う ピエロの才は第二の天性

 我酒は後悔を横に侍らせて 一人じくじく飲むぞ楽しき

 杯に一期一会の思い馳す この美味き酒祈りをこめて

 我が友の多くは酒でみまかれり 命を削る酒は恐ろし

 水中の月を掬いて逝きしとか 李白の境地達すべくもなし

 

     

 産声は唐土の空に届きけり 祖父になりしと面はゆく聞く

  我が孫は野乃子と呼べり野原の子 健やかに咲け野薔薇の如く

 新しき命芽生えりたくましく 誰に似たるか髪黒々と

 母となる生みの苦しみ乗り越えり 産屋にありて君はまどろむ

  「おじいちゃーん」と中国の子ども我を呼ぶ 「イエイエハオ」は中国語なり

 「おじいちゃんいい年なのよ」と我が娘 妻の口調で我をたしなむ

 「あーあー」と電話の向こうで野乃子呼ぶ 初孫の実感チクチクと湧く

 年賀状一面に飾る花野薔薇 怪我を気使い刺抜きたるか

  日一日の成長のさま便り来る 抱いて欲しさにうそ泣き覚ゆと

 小春日を受けて微笑む子の上に 幸せのみぞあれしと祈る

 

       

  我が友に共通すること一つあり 男気ありて読書を愛す

 夜学終え一杯のうどんすすりあう いまでは最も古き友なり

 かの友は鳥と戯れ30年 仙人のごと瓢々と生く

 40年勤めを終えて残れるは 友と呼ぶ人出来たることか

 いま我に最も多きは囲碁の友 烏鷺の戦い疲れを知らず

 中国の友何故かくも優しかる 過ぎし日のこと前向きに許す

 伝統の心重んず韓国は 年長者には特に優しき

  韓国の小娘優し慰める 傷つく我にメモを寄越して

 この我に女友達無理なるか 願いと異なり分け道に迷う

 年毎に鬼門に入る友多し 同窓会は黙祷であく

 

        趣味

  尺八は縁の楽器と伝え聞く 吹きて思うは人の世の縁

 いつの間に三十年なり石の上 芸つたなけど人前で吹く

 我が趣味でなんとか人に誇れるは 囲碁のみなるか一応六段

 いま囲碁は我が人生の一部なり 四十四年石を運べり

 ありし日は口そぎの糧プログラム 今は趣味なりときに楽しむ

 その年で何故中国語学ぶのか 問いに答えん趣味に過ぎずと

 六十の手習いなれど憧れは 機会を見つけて画を習いたし

  酒趣味と言うにはばかりやゝあれど 黄昏どきは特に恋しき

 念じたし叶わぬ夢と知りたれど 日本縦断自転車の旅

 いつの日か趣味に加えん歌詠みも 学び浅けど面白く思う

 

        生業

 立ち退きで打ち壊されし建物の 煉瓦を選び揃える女

 それぞれの国の言葉を使い分け 微笑み掛ける夜の蝶々は

 街角でタバコヤスイと声掛かる 誰が教えし妖しき日本語

 服務員勤務の合間に読む本は 日本語会話手垢に汚れ

 値切るのも楽しみのうち中国は 円以下値切りときに気がさす

 おしゃべりに付き合ううちに何か買う 市場の娘売り上手なり

 停車前何故かメーター跳ね上がる 北京のタクシーしたたかなりき

 したたかさ我も人後に落ちぬ方 覚えし言葉で強く抗議す

 詐欺師とは予め知り警戒す なれどかなわず中国のプロ

 一日になにかトラブル一つ起く 生きた勉強中国暮らし

 

        交流

 縁ありて国際放送見学す 厚きもてなし師走のある日

 国際と言えど設備はやゝ古し 電波に乗るは燃える情熱

 戯れにアナウンサーの真似したり マイクの前は声出なきもの

 恋人の誕生祝いの鍋料理 鍋より熱き招き受けたり

 紅葉の盤山を逍遥す 李老師の招きを受けて

 中国の若者達と踊りけり 国慶節の前の一夜を

 中国の若者達に交わりて 烏鷺戦わす陳毅杯戦

 陳君の家に招かれカラオケの 声張り上げり日の暮れるまで

 文化祭我も参加す尺八の 拙なき芸を披露め親しむ

 棋友でもあるかの友は我が教師 生きた言葉を生で導く

 

        年越し

  百八の煩悩全て流し去り 新たに迎えん新しき年

 街の灯もまばらになれり往く年の 北京の暮れは闇に沈みて

 幸せは平凡の中にありという 明日も祈らん今日と同じ日

  一筋の光静寂を突き破る 北京の朝日ビルの谷間に

  年明けて学びの庭は人もなく 音無き朝は光のみ射す

 新しき年は新たな煩悩を 引き連れて来る新たな友と

 この年は節目と思う還暦の 心に纏う赤き着物を

 年明けて若返れりと我に言う 服務の娘は世辞上手なり

 年越しは世界の若者集いけり ドイツ大使館ダンスパーティー

 青い目の新年会に戸惑えり 祝福のキスいきなり受けて

 

        天安門

 動乱の歴史を照らし聳えたつ 天安門は光の中に

 人権を話題にするもはばかれり 天安門は象徴なるも

  97の返還を前に時刻む 広場の時計香港を待つ

 思い馳す毛沢東のありし日を 紅衛兵の世代を生きて

  雛壇の主幾人か入れ替わり 歴史のうねりたゆとうを知る

 ミサイルも戦車も要らず天安門 鳩こそ似合う光の庭に

 君は知る故宮の主もうつろいも 永き歴史の証人として

 中国の経済発展のシンボルか 天安門の光は増して

 解放の記念碑聳え空青く 少年少女旗を捧げる

 天安門広場の旗門サッカーの ゴールに見立て雪蹴り遊ぶ

 

        偏見

  日本では中国人と蔑まれ 国二つ持つ大地の子悲し

 根は深しいじめ蔑み少年の 心刻みて死の淵覗く

 涙する華僑の定め負う娘 甘い思い出日本に無しと

 島国のわが国人の偏見は 有色人種に特に厳しき

 偏見の裏返しなるか撫子は 黒き男の腰にまつわる

 引き揚げと呼び捨てにされし幼き日 特にいじけし思いもなけど

 在日の韓国の友律儀なり 苦き思いは心に秘めて

 東洋鬼ののしり言葉耳にして 身を竦ませし古き思い出

 蔑みの視線に堪える黒き友 瞳は清く澄みわたりたる

 我は知る古き中国韓国を この十字架は歴史で消せず

 

       

  我が夢は時間健康共にあり 今日の一日全うすこと

 あと五年新し世紀迎えなん 夢託したし若き心で

 五十年前は夢にも思わざり 異国の土地で異国語学ぶと

  それぞれの夢それぞれに語り合う 会話の授業異国の言葉で

 平凡な夢は嫌いと言う女 小賢し口を平凡に曲げ

 夢を捨て新しき夢追う女 深き傷口醜く晒し

 秋深し他人の娘語る夢 静かに聞きてわが娘を思う

 切なくも乙女の胸を張り上げる 白馬の騎士に夢を求めて

 我が胸の隅に蠢く淡き夢 煩わしけどそのまゝにおく

 健康を神に感謝す我が夢は 深き眠りに醒めて覚えず

               (完)