.     掲示板 リンク集 作者紹介 中国語版
 
   
 
 
     けんさんは、1935年(昭和10年)生まれてすぐ中国に渡りました。
     私の生涯は、旧満州国、新中国の誕生、現在の中国と重なります。
    その 80年の中国を、色々な角度から紹介したのが、このHPです。
    今は、中国に三ヵ月、日本に一ヵ月と渡り鳥のような暮らしをしています。

  お知らせ
    掲示板「ニーハオ広場」が使えるようになりました。また宜しくお願い申し上げます。
   中国からは、ツイッターもフェイスブックも使えません。
    下記に「一句成仏」をツイッター風、「唐土遍路」をブログ風に作りました。
 
 
        一句成仏     駄句一句を添えた短文日記  瀋陽俳句日記 2018/05/24

 風薫るいつもの道に同じ美女
 
 

  唐土遍路(前書き)

 私も馬齢を重ねいつしか83年。父が旧満州国で官吏をしていたので、生まれて間もなく旧満州国に渡り、以来なにかと中国に関わってきた。だから私の生涯は、旧満州国から始まり、日中戦争、内戦、新中国の建国、その後の改革開放、一帯一路・・・それは中国の近代史とそのまま重なる。

 思えば我が家は、家庭の事情で祖父の代から中国で暮らし、子供の頃から中国で育った父もまた中国の申し子だった。

 だから、大同学院(旧満州国官吏養成所)を卒業して、旧満州国資材局に奉職した父は、「王道楽土」の建国を心から夢見ていた。我が子即ち私に、「献 」(献上の献)と名付けたのは、皇帝「溥儀」に愛しい我が子を献げるという意味である。そしてこれが「けんさん」の名の由来である。

 

 この名前が私の生涯の運命を支配する。

満州国を最後まで侵略と認めなかった父と、戦後教育民主教育を受け、労働組合の運動の中で歴史を学んだ私と、この面では最後まで二人の意見が合うことはなかった。しかし議論することもなかった。お互いに言いたいことは痛いほど分かっていたから。

 退職後、私はこの宿命の名前を引きずって、北京語言学院に語学留学をした。そのとき父が喜んで、留学費用とそれ以上の物を出してくれた。

 父にとって我が子「献」が新中国と関わって生きていくことは、心ならずも「侵略者」と呼ばれて実現しなかった王道楽土の夢を、違う形で叶えてくれることに他ならなかった。

 こうして、私の献上の対象は、溥儀から新中国に変わった。

 

 いい年をして中国で一人暮らしをしていると、「何故中国で暮らすのですか?」と素朴でもっともな質問をよく受ける。

それに対しては、私も「私は子供のとき中国で育って、中国は私にとって第二の故郷です」と、素朴に答えている。古い思い出は、ともすれば甘くなる。敗戦後の旧満州の思い出は、必ずしも甘い物ばかりではない。むしろ辛い思い出しかない。それでも第二の故郷であることは間違いない。少年期の強烈な印象と「献」という名前の宿命から言えば、そこはむしろ第一の故郷と言うべきかもしれない。

素朴に答えるのは、自分でもこれ以上の答えは分からないからである。

 

ここで暮らしながら、「庶民同士の本音の交流」を目指したこともある。しかし庶民の本音は「是々非々」で」ある。

侵略が是か非か。ここに議論の余地はない。殺人が悪という自明の理と同じく、侵略は言うまでも無く非である。しかし最近はこのことで直接中国人と語り合うことはない。 

私の下手な中国語で話してもあまり上手く思うことが言えないし、優しい中国人は皆さん「過ぎた事です。歴史になりました」と言ってくれて、それ以上の話になかなかならない。

インターネットの掲示板で、「けんさん」のハンドルネームで幅広く愚見を述べさせて頂いたのだが、私が真剣になるほど敵ばかり作って、ある掲示板では「アクセス禁止」という追放処分まで受けてしまった。

だから自分の掲示板を含め、新聞投稿などでもっぱら書いている。

 

2005年に「けんさんの中国ぶらぶら」と題して、拙著を文芸社から出版して貰ったのだが、今回の「唐土遍路」はその続編の意味合いもある。

愛媛新聞に、「へんろ道」という一般投稿欄がある。そこに投稿した物が本編の中核を成している。本編の各項目が500文字程の構成になっているのは、「へんろ道」の投稿スタイルに合わせた物である。

一般投稿欄だから、扱われている内容は必ずしも中国関係だけではない。しかし私は主に中国関わることを投稿させて貰った。

 

とは言え中国は広い。歴史も長い。人口も民族の数も多い。最近の変化も激しい。

浅学非才の身を顧みず、敢えて独断と偏見に近い愚見を並べさせて貰ったのは、「献」の熱い思いからである。

浅学非才は、形容でも謙遜でもない。私の最終学歴は、正式には新制中学卒である。それも戦後の混乱と家庭の事情で三年間に満州、本州、九州、四国と五つの学校を転校してやっと卒業したから、まともに勉強していない。小学校に到っては、国民小学校で入学したのだが、終戦後学校そのものが無くなったから、日僑浮子弟小中学校という国民党政府の学校みたいな所で学んだ。勿論卒業証書なんか無い。

だから私の学問は、全て実社会の中で学んだ耳学問である。よく言えば自分で無い頭を絞った意見だが、独断とか偏見とかのご批判も甘んじて受ける。それが耳学問だから。

しかし自負もある。それは耳学問の一つ一つが、目の前の一人一人の人をそれが誰であれ、師としてと誠実に接し、今の一瞬をひたむきに生きた結果だということだ。

 

大きなことは言わない。言えない。学も力も金も無いから。しかしミクロ法則とマクロ法則はどこかで一致するはずだ。一人と一人という一番小さな社会に国と国という関係の分子があるはずだ。今の一瞬が、歴史の中にあることは間違いない。

遍路は歩きながら考える。一歩一歩見える景色の中で、感動は変わる。変わらないとおかしい。然し思想まで変えるのは難しい。

「唐土遍路」も一編一編はとりとめもない話しで、矛盾だらけかもしらないが、それも一瞬一瞬をひたむきに生きた結果である。

 

 矛盾と言えば、所謂歴史認識も一筋縄ではいかない。先に「侵略の非」は自明の理と言った。しかし侵略のプロセスを歴史としてどう見るか。これが広義の歴史認識だと思うのだが、こういう風に考えること自体がタブー化されている。政治に利用された善悪正邪が前面に出て誇張された狭義の歴史認識はともすれば、歴史その物を捻じ曲げていないか。それが今の歴史と次の歴史の障害になっていないか。

 はっきり言う。日中間に横たわる歴史認識に限るなら、南京問題と靖国問題はその最たる物である。

 そしてその元凶は東京裁判だ。

 

 東京裁判は何だった。正義が戦争を裁いたのか?もしそう言うならノーである。

 何が正義か。少なくとも侵略問題に限って正邪を判断するなら、被告席に座るべき人が、検事席に居た。戦争を裁いたのか。これも疑問だ。核が裁かれなかった。これも被告席と検事席が逆転する問題だったから。

 東京裁判の功罪を、功の一面で言うなら、とにかく戦争を終結させたことである。それを勝者が行った。これもある意味当然だ。それが戦争だから。あらゆる戦争に勝者はいても、正義は無い。

 これ以上書くのは前書きの範疇を越える。その一つ一つに対する私の「耳学問」は、本編の中で述べさせて頂く。遍路は今日も唐土の道を歩いている。

 「ニーハオ広場」で、ご指導を頂けると有難い。

 
        唐土遍路      中国生活の中の所感集
 最新掲載    2018/05/20
 
    
 
 .
 以遊会友  けんさんの中国ぶらぶら  中国旅行記 中国滞在記
 .
 
旅行記
 旧居訪問  撫順と新京の昔住んで居た家へ
 開原と鉄嶺  日露戦争後祖父が住んでいた
 大草原   内蒙古通遼の烏雲さんを訪ねて
 丹東旅行  鴨緑江から北朝鮮を望む
 中国棋院大手合観戦  杭州で開かれた中国棋院大手合
 国境の町  朝鮮族自治区延吉
 甘い承徳  清朝離宮がある熱河
 奇怪な坂  瀋陽にある不思議な坂
 ピクニック  看護婦学校の生徒と本渓へ
 父の霊  父の最期の勤務地鶏西
 最後の関東軍  牡丹江近郊磨刀石
 黒龍江省一人旅  鶏西、牡丹江旅行の途中
 センチメンタル漫遊記  朝鮮族二人の娘さんを含め大連旅順を旅行
    台湾旅行記   2015年春台湾を8日間旅行してきた

 
体験記
 受難の記  泥棒に入られた
 中国の救急車  友人が救急車で運ばれた
 中国のテレビに出演  北京短期留学中のこと
 買い物風景  瀋陽の街角
 ご馳走  ゴキブリを食べました
 アジア体育祭  1998年アジア体育祭に参加
 その方面  1998年現在風俗

追憶記
 回来了  45年振りの中国
 混乱の三年  終戦直後の撫順
 止った時計  妹を火葬にした煙突の下で
雑感
 ノーと言わない日本人  中国語の否定語は豊富
 お世辞と敬語  上手なお世辞は教養
 
 
   中国一口話  中国人の習慣・生活80話を、メール風に一口話  
     
 
   
   
 
  
  
 
   
 中日友好銀輪同好会  日中の爺さん婆さん13人で、瀋陽~北京800キロの旅
 日本列島縦断  最南端沖縄波照間~最北端宗谷岬まで、3300キロ走りました
 伊予路りんりん  三輪田米山の石碑を訪ねて、松山近郊のお宮を回りました
  坂の上の雲の道  瀋陽から大連まで。日露戦争古戦場
 
 
   
 
以文会友   読み物  随筆 短歌 川柳
 
 
   
  チャンマオ   1993年、北京へ語学留学したときの想い出
 北京歌日記    短歌で綴った、中国生活
  川柳の部屋   まじネタ、しもネタ、家庭ネタ・・・  
  漢俳 new   漢字で作った俳句
  けんさんの中国感   ある中国関連雑誌に対する読後感です
  阿K放浪記   敗戦後の中国大陸を13才の少年が撫順から北京まで一人旅
 
 
   
   
 
以棋会友   囲碁コーナー
 
 
   
  御城碁  御城碁の棋譜をを順次アップロードしています。2010年2月現在34局。
  囲碁往来   中国の囲碁新聞「囲棋報」に投稿した原稿です。 
 
     
 
   
 
以楽会友   音楽の友  中国民謡など、音楽のページです。
 
   
 
  中国民謡     康定情歌他中国各地の民謡
 再見北京

   作詞作曲  けんさん
   中国語歌詞 賀 奕
  

ひとり道


   作詞作曲  けんさん
   編曲 ピカソ

 宗谷の風
   作詞  けんさん
   作曲  いけさん
     
 
 
 
   
   
 
 以網会友  このページは皆様のお寄せになった投稿原稿で出来ています  
 
 
 ご案内
1 掲載ご希望の方は、テキストファイルの原稿をメールでお送り下さい。
2 写真画像はgifまたは jpg形式で添付して下さい。あまり大きな物はお断りすることがございます。
3 原則として、校正はいたしません。ご送付頂いたまま貼り付けます。
4 デザインは、特にご希望がない限りこちらにお任せ頂きます。
5 メンテナンスは、できるだけご要望に応えますが、こちらの稼動状況によりお断りすることがございます。
6 著作権上のトラブルは、当方は一切関知いたしません。
7 掲載上生じたトラブルは、投稿者の方の責任で処置して下さい。当方は一切関知いたしません。
8 このホームページに相応しくないと当方が判断した場合は、掲載をお断りすることがございます。
9 このホームページに相応しくないと当方が判断した場合は、掲載後でも削除することがございます。
    ご投稿をお待ちしています。   
 
 
   
   
    作   品          作 者 紹 介
ハンドルネーム 鴨緑江 .  .
引き揚げルートを辿る旅 生年月日 1936年
「葫蘆島の感激 住所 岡山市
中国滞在地 丹東、長春
我的出生地「丹東」
への日中友好の旅

(2005.2.19~26)
略歴近況
東会会員(旧丹東で1936年出生)
日本長春会会員(敗戦時在住 1946年10月末引き揚げれた)
岡山市日中友好協会会員(訪中とボランティアの為)
岡山市と洛陽市とが 友好都市(今年25周年)
現在 洛陽市小浪底の黄河河畔の植樹に毎年行っている(10年計画
ハンドルネーム あなたのやぎさん .  .
葫蘆島への旅 生年月日 1937年
住所 東京都昭島市
中国滞在地 長春
略歴近況 946年引揚。山口、千葉、東京に移転。
1998年定年退職。現在無職
氏名 宮岸清衛 .  .
葫芦島へ 生年月日 1935年
住所 石川県石川郡野々市町
父よ(ソ連軍からの脱走 中国滞在地 黒河
ハンドルネーム ノロ .  .
探親掃墓 生年月日 1933年
住所 埼玉県蓮田市
中国滞在地 寛甸、丹東、孫呉、斉斉哈爾、長春
氏名 渡辺 貞文 .  .
日本列島縦断 生年月日 1924年
 一人旅日記 住所 北海道美深市
略歴 シベリアから引き揚げ
 北海道~鹿児島 八十才の旅
.
 
 
   
 
 
 
 
温故知新   古いバージョンのリバイバル  
 
   
中国人取調室見聞録   2000年刑事通訳としての実録
北大荒調査報告   2001年 黒竜江省北大荒国営農場の調査レポート
 
共有2018/04/25

 

2018/05/24